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面白日本の合戦史

歴史が好きではない人でもわかる!日本の合戦を面白くご紹介

桶狭間の戦い (西暦1560年6月12日)

主戦場:尾張国田楽狭間
対戦者:織田信長 VS 今川義元



駿河(いまの静岡県辺り)の今川義元が上洛する!



織田家に衝撃のニュースが走った。




上洛するには織田が治める尾張(愛知県辺り)を通ることであり、今川と織田は仲が悪い。

どうぞどうぞお通りください、という訳にはいかない。

 


織田家の若き当主は、織田信長27歳である。
尾張の国を統一したとはいえ、まだまだ織田家は今川家と比べれば弱小。



今川義元というと、平安貴族のように顔におしろいを塗り、お歯黒をしたバカ殿様のようなイメージを持っている人もいるかもしれないが、その実力は武田信玄や北条と肩を並べる大戦国大名。


織田家の総勢5千に対し、今川家は2万以上の大軍を擁していたのでござる。



その差は四倍以上。とても勝てるはずがない...



降伏か、籠城か。
家老たちが議論する。




そんな議論も、耳くそほじりながら無視していた信長。



信長には籠城も降伏も頭になかった。



今川義元を討ち取る。



織田家が生き残るにはそれしかないと思い定めていた。



そして倒す場所は、桶狭間!
桶狭間は、三河と尾張の国境で、大軍が通るときは細長く伸びざるをえないからである。






今川軍が織田の砦を攻めてきたことを聞いた信長は、幸若舞「敦盛(あつもり)」を舞う


♪人間五十年下天のうちをくらぶれば
♪夢まぼろしの如くなり
♪ひとたび生をうけ滅せぬ者のあるべきかぁー





早朝4時、疾風のごとく城を出た。
付いてきた兵はわずか200。
残りは後から慌てて追いかけてきたくらいである。




熱田で後続を待って隊形を整え、そこで今川本陣が田楽狭間に入ったことを知る。



2万を超える今川勢も広範囲に兵を配置したため、本陣を守る兵は5千。

そして織田方の砦を落としたばかりの今川軍は戦勝気分で緩んでいた。




勝てる!

一天にわかに掻き曇り、午後には豪雨となった。

この悪天候の中、信長は田楽狭間を目指して進んだ。

雷雨のため、信長が近づいていることに今川義元は気づかなかった。

狙うは今川義元の首ただ一つ!




そして今川義元が信長の襲撃に気づいた時には...







ちょっwwww まっwwwwww
まじありえんてぃだしww







今川義元を打ち倒した織田信長はその後、天下布武へと駆け抜けていったのでござる



にんにん