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面白日本の合戦史

歴史が好きではない人でもわかる!日本の合戦を面白くご紹介

徳川家康

三方原の戦い (旧暦 1573年1月25日)

山が動いた。 戦国最強と言われる武田信玄がついに上洛を開始したのだ。 当時の情勢はというと。 信長は京に上洛して、室町幕府15代将軍に足利義昭(よしあき)をたてて、天下統一にむけて驀進していたところでござる。

関ヶ原の合戦(西暦1600年10月21日)PartⅣ 関ヶ原

前回からの続き jp-history.hateblo.jp 石田三成挙兵の報を聞き、小山評定を経て東軍の諸将は、三成討伐に西へと向かったでござる。 家康は息子の徳川秀忠(ひでただ)に約3万8,000の軍勢を付けて中山道(なかせんどう)を進ませた。中山道は群馬や長野などを通…

関ヶ原の合戦(西暦1600年10月21日)PartⅢ 小山評定

前回の続きでござる。 jp-history.hateblo.jp 上杉討伐のためにわずかな守備を残して東に向かった徳川家康たち。 いまならば東西から家康を挟み撃ちに出来る! と佐和山城(滋賀県)に謹慎中だった石田三成はこの機を逃さず挙兵に踏み切った。

関ヶ原の合戦(西暦1600年10月21日)PartⅡ 直江状

前回の続きでござる。 jp-history.hateblo.jp さぁて、加賀前田家には逃げられた徳川家康の次のターゲットは、会津120万石の上杉景勝(かげかつ)。上杉景勝は、あの武田信玄のライバルであり越後の虎と恐れられた上杉謙信(けんしん)の甥であり、養子となって…

関ヶ原の合戦(西暦1600年10月21日)PartⅠ

天下分け目の決戦、として最も有名な合戦の一つでござろう。東軍・徳川家康と西軍・石田三成の合戦である。そもそも、なぜ250万石の大大名である徳川家康と、19万石しかない石田三成が戦うこととなったのでござろうか。簡単にお話したいと思うでござる。