面白日本の合戦史

歴史が好きではない人でもわかる!日本の合戦を面白くご紹介

山崎の合戦 (1582年6月13日)

明智光秀、謀叛。
織田信長、本能寺で死す。
 
1582年6月2日(旧暦)のことである。
 
天下統一まであと一歩。
既存の価値観をぶち壊し、新しい世界を創りあげんとした織田信長は、49歳の若さで死んでしまったでござる。
 
なぜ明智光秀は謀反を起こしたのか?
昔からとりあげられているミステリーではござるが...

第二次信長包囲網(1571~72年) ~比叡山延暦地焼き討ち

  前回の続き...

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1570年の信長包囲網の危機を乗り切った信長であるが、15代征夷大将軍足利義昭(よしあき)は相も変わらず各方面へと手紙を送りまっくていたでござる。

翌1571年になってるとまた、浅井朝倉軍・三好三人衆・石山本願寺・延暦寺・六角氏などが反織田勢として動き出す。


しかし信長。前年は浅井長政の予想外の裏切りから後手後手と回って四苦八苦したが、今回は調略なども交えて、しっかりと対策を行った。

浅井長政の重臣を調略し、近江(滋賀県)南部の支配を固めることに成功。
そして北伊勢の長島一向一揆を攻撃。

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第一次信長包囲網(1570年)

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さて、みんな大好き織田信長さん。
天下統一のあと一歩のところで亡くなってしまいましたが、それまでの道筋は決して楽なものではなかったでござる。
 
その信長のもっともピンチといえるものに、信長包囲網というのがあったのでござる。
 
包囲網という名称の通り、四方八方敵に囲まれたのでござるな。
さて、どういう状況かと言うと。

三方原の戦い (旧暦 1573年1月25日)

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山が動いた。
 
戦国最強と言われる武田信玄がついに上洛を開始したのだ。
 
当時の情勢はというと。
信長は京に上洛して、室町幕府15代将軍に足利義昭(よしあき)をたてて、天下統一にむけて驀進していたところでござる。
 

川中島の戦い(旧暦1560年9月10日)

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かたや天才的な戦略で軍神の名を欲しいまました上杉謙信
かたや緻密な計画と調略で、その生涯負け戦がほとんどないと言われる武田信玄


戦国武将でも最も有名なこの二人が直接的に戦った唯一の合戦がこの「川中島の戦い」でござる。
 

関ヶ原の合戦(西暦1600年10月21日)PartⅣ 関ヶ原

前回からの続き

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石田三成挙兵の報を聞き、小山評定を経て東軍の諸将は、三成討伐に西へと向かったでござる。

 
家康は息子の徳川秀忠(ひでただ)に約3万8,000の軍勢を付けて中山道(なかせんどう)を進ませた。中山道は群馬や長野などを通る山側の道でござる。こちらには徳川直属の部隊を多く含ませた徳川軍主力でござる。

 

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関ヶ原の合戦(西暦1600年10月21日)PartⅢ 小山評定

前回の続きでござる。

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上杉討伐のためにわずかな守備を残して東に向かった徳川家康たち。


いまならば東西から家康を挟み撃ちに出来る!
と佐和山城(滋賀県)に謹慎中だった石田三成はこの機を逃さず挙兵に踏み切った。
 

関ヶ原の合戦(西暦1600年10月21日)PartⅡ 直江状

前回の続きでござる。

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さぁて、加賀前田家には逃げられた徳川家康の次のターゲットは、会津120万石の上杉景勝(かげかつ)。


上杉景勝は、あの武田信玄のライバルであり越後の虎と恐れられた上杉謙信(けんしん)の甥であり、養子となって家督を継いだ人物でござる。

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関ヶ原の合戦(西暦1600年10月21日)PartⅠ

天下分け目の決戦、として最も有名な合戦の一つでござろう。
東軍・徳川家康と西軍・石田三成の合戦である。



そもそも、なぜ250万石の大大名である徳川家康と、19万石しかない石田三成が戦うこととなったのでござろうか。

簡単にお話したいと思うでござる。

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桶狭間の戦い (西暦1560年6月12日)

主戦場:尾張国田楽狭間
対戦者:織田信長 VS 今川義元



駿河(いまの静岡県辺り)の今川義元が上洛する!



織田家に衝撃のニュースが走った。




上洛するには織田が治める尾張(愛知県辺り)を通ることであり、今川と織田は仲が悪い。

どうぞどうぞお通りください、という訳にはいかない。

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